震災の過去・未来     ヤルデア研究所 伊東義高


(1) 猿の震災 ・おおよそ4〜500万年前、万物の霊長の人類もまだ言葉も喋れない猿だった。 ・アフリカのジャングルでターザンごっこをし、夜は木の枝に掴まって寝ていた。 ・アフリカにも大地震はあり、時々ジャングルの木が大きく揺れることがあった。 ・ざわわ…、ざわわ…とサトウキビ畑のように揺れるジャングルに猿達は驚いた。 ・キキ〜ッキキ〜ッ…と叫びながら枝にしっかり捕まり、揺れの止むのを待った。 ・丁度、枝から枝に飛び移ろうとしていた猿や耄碌猿は木から落ちて怪我をした。 ・しかし、ほとんどの猿は驚いただけでしんだり怪我をしたりの実害はなかった。 (2) 猿人の震災 ・アフリカ東部に今も大きな地溝帯として残る大断層が噴出する大地震があった。 ・大変動でアフリカの気候は一変し、ジャングルは枯れ果て砂漠や草原と化した。 ・木の芽木の実を常食とし、時に草の実や虫などを食っていたご先祖様は困った。 ・飢えには勝てずサバンナ(草原)に下り、遠く獲物を探す旅を始めたのだった。 ・コアラやパンダと違い、雑食性が既にあったために何とか食いつないでいった。 ・草原には大型の食肉動物もおり、昼はなんとか逃げられても夜は大いに困った。 ・寝るところを探し回って、草原の果ての岩山中腹に開いている洞窟を見つけた。 ・二足歩行や火や石器を取得したご先祖様は昼は草原で狩をし、夜は岩穴で寝た。 ・草原・藪・小川…にいるときに大地震に出逢っても、腰を抜かすだけですんだ。 ・横穴住居にいる時に地震にあって、岩に頭をぶっつけ痛がるご先祖も稀にいた。 ・しかし落雷・野火・山火事で死んだ例は稀にあっても地震で死んだ例はなかった。 (3) 原人の震災 ・食料の殆どを草原や藪での狩に依存する生活には山の中腹住まいは不便だった。 ・ご先祖様達は小川に近い草原に窪地を見つけねぐらとし居住域を広めていった。 ・赤道直下の太陽直射,時折のスコール,敵襲を避けるために竪穴の屋根を考えた。 ・拾い集めた枝木を穴の上に渡し、葦のような水草を刈って来て、上部を覆った。 ・狩の道具、料理の道具、毛皮衣服など部屋の中に品物がしだいに増えていった。 ・竪穴住居で一番気を使ったのは、雨水などの浸水と焚き火が原因の火災だった。 ・竪穴生活が手狭になり、柱を立て屋根を高くし、壁を取り付けるようになった。 ・掘立小屋生活にも大地震はあり、時に小屋が崩れ、潰れたりしたことがあった。 ・小屋の崩落で怪我をしたご先祖の猿達はいたが、死んだ例は伝えられていない。 (4) 古代人の震災 ・狩猟時代から農耕時代に発展し、一つの土地に本格的に定着するようになった。 ・集団の単位も大きくなり、社会階級制度もでき、村落社会が形成されていった。 ・家作りも基礎・柱・床・壁・戸口・窓・梁・屋根と複雑化・高度化していった。 ・インド・中国・韓国の大陸文化・文明が輸入され、建築も大きな影響を受けた。 ・建築部材の結合も紐縄縛りから嵌め込み方式へと進化し、丈夫になっていった。 ・宗教関係の建物では高層建築も行われ、法隆寺の心柱などの技術も開発された。 ・生活用品も陶器・木製品・布製品・金属製品…と多様化し、高度化していった。 ・むろんこの頃も地震はあり、「なゐ」とか「なゐふるふ」と言われ怖れられた。 ・人間の悪行に怒った大地の神が人を懲らしめるために起こすのだとも言われた。 ・推古記に「地動き舎屋悉く破れ、即ち四方に令し、官吏に地霊神を祭らしむ」。 ・この頃から家や家具・器物などの人工物が齎す地震災害が重篤になっていった。 ・建物器物の損壊に止まらず多数の死傷や社会機能の被害が大きくなっていった。 ・大宮殿や寺院が持つ太い柱,多い梁,大きな基礎石等の耐震性に目が向けられた。 ・耐震研究は進んだが台風対策の重い瓦、気密保持の厚い土壁等問題は多かった。 (5) 中世人の震災 ・世は中世になり、経済活動も盛んとなって、都市集中化が急速に進んでいった。 ・難波や江戸など都市は水陸の交通の便の良い平地に建物が密集して造営された。 ・平地では雪崩や崖崩れの災害はないものの、水害や津波などの災害は多かった。 ・地震災害で言えば文献にこそないが、低湿地帯での液状化被害もかなりあった。 ・狭い路地、密集家屋、木造建築がもたらす地震災害に大火災が加わっていった。 ・中世からの地震被害は家屋倒壊,地震火災,津波襲来によるものが主体となった。 ・一度の大地震で失われる犠牲者の数も千人台、万人台と次第に増大していった。 ・巷間では「地震・雷・火事・親父」は恐ろしい四天王として語り継がれてきた。 ・建築技術の面で横揺れ制御の筋交いや束・根太・大引き等の基礎強化がなされた。 (6) 現代人の震災 ・日本の近代化・現代化とはかなりの面で、そのまま西洋化ということであった。 ・都市構造・建築技術でも西欧の文化・技術が広く輸入され実用化されていった。 ・都市の建物では煉瓦・コンクリート・鉄鋼部材や硝子が多用されるようになった。 ・その後も海溝型、直下型、火山性の地震が相続き災害度は高くなってきている。 ・これらを試すかのように関東大震災が起き、崩壊と火災の大被害を見せ付けた。 ・現代人は「天災は忘れなくてもやってくる」と建築基準法の改定を重ねてきた。 ・また耐震技術・免震技術・制震技術や耐震部材なども開発され・進歩をしている。 ・予知研究もプレート移動・微震動検知・異常電磁波・動物異常行動と進んでいる。 ・防災法令も種々あるが多くは緊急対応・避難・復興分野で事前防災分野は少ない。 ・防災推進者育成も各所で始まったが知識中心型が多く意識技能啓発型は少ない。 ・基本的には地震は天災で被害は自業自得で、第三者への迷惑も免罪されている。 ・災害の大きさは理解されても発生率・遭遇率は小さいと軽視される風潮である。 ・しかし経済効率至上主義の風潮に地震防災の費用対効果が追随し切れていない。 ・大発展をしたマス・コミュニケーションも表面的な報道や解説に止まっている。 ・人類文化・文明としても地震の偏在性から全人類共通課題となりきれていない。 (7) 未来人の震災 ・来世期待や絶対神崇拝の宗教は唯物論的宇宙観や進化論的人間観に代っていく。 ・個人の生命の価値、人間の権利についての評価は飛躍的に高まり法律も変わる。 ・唯一度の人生をどう生きるかは社会の問題でなく、個人の権利と責任と明文化。 ・他に迷惑でない限り個人の自由だが他への迷惑はより重く咎められ罰せられる。 ・迷惑行為は積極的行動のみならず、不作為の迷惑も厳しく問われるようになる。 ・地震などの危機管理も「自助:互助:公助=7:2:1」が社会の常識となる。 ・自らを守ろうと努力しないものについては周辺も社会も援助はせずに見捨てる。 ・天災対応も社会的対応が必要で、個人個人も応分の防災分担責任が嫁せられる。 ・耐震、耐火、避雷、擁壁、堤防…等について個人、地域の防災責務が問われる。 ・防災責務の怠慢は罰せられ、その瑕疵による第三者被害には賠償が求められる。 ・建築技術も耐震・免震・制震から吸震・変震・反震などの技術が開発・実用される。 ・建築材料にもカーボンナノチューブ、超合金・高機能樹脂等が開発・利用される。 ・建築基準法も段階的に強化され,地域階級に応じ厳しい施工・維持を規定しする。 ・施設管理者は従業員・顧客等を建物・什器備品等により損傷させてはならない。 ・建物は崩壊の恐れのある崖付近や造成階段での建築は禁じられる。 ・液状化の怖れのある地域では地盤改良後でなければ建築できない。 ・津波の予想される海岸・川岸では十分な堤防を自治体が建造する。 ・屋根材・外壁材・窓部材等の落下しないものでなければならない。 ・中高層ビルはL波(長周期震動)に共鳴し大揺れしないものとする。 ・中高層ビルの出口は地震動による開閉不能防止措置が必要となる。 ・建物内部は標準的家具固定準備が施され、完全不燃化が施される。 ・家具類は相互固定・建物固定の方法が標準化され、作り込まれる。 ・建物内の者は発震時にその場そのままの姿勢で無事が保障される。 * 21世紀の現在は地震防災文化・文明の大きな移行期である。 * われわれの研究・発想・努力が後世の地震防災の土台となる。

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